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つぶやきかさこ

カメライター(カメラマン&ライター)かさこの毎日更新ブログ。政治・金融・社会問題から旅行記、写真などさまざまな話題を提供します。ホームページhttp://www.kasako.com/

2006年ドイツワールドカップにいけるか否かがかかる、最大の山場がやってきた。
今日のイラン戦、そして30日のバーレーン戦だ。
この2戦、どのような結果になるかで、
日本が前代未聞のワールドカップへの道が遠のくといった可能性も出てくるのだ。

そして、とことんバカなジーコ。消えろ!
もうね、開いた口がふさがらないですよ。
初戦の北朝鮮戦、ジーコは中田も小野も藤田も稲本も呼ばなかった。
国内組を優先し、欧州組をほとんど呼ばずに戦った。
私はその時、こう書いた。
確かに国内組の調子が良いかもしれない。
でも、戦いはこの1戦ではない。
2次予選はまだはじまったばかりだ。
長い戦いの中で絶対に中田をはじめ欧州組の力が必要になる。
だから、先発で使うかは別にしても、中田をはじめ欧州組を呼ばないなんてあり得ないと。

そして、2戦目のイラン戦。
ジーコはほぼ全員、欧州組を呼び、ほぼ1年ぶりの代表戦復帰となる中田のために、
チーム戦術システムまで変えてイラン戦を戦うという。
「責任はオレがとる」。ふざけるな!
ジーコ、責任はとらなくていいから、バカなことするな。

前回の試合でも呼ばれていない中田をはじめとした欧州組を、
今度は先発でいきなり中田、小野、俊輔、高原と4人使う。
サッカーは当たり前だけどチームプレーですよ。
連係がとれるわけがない。
チームとすらいえない。寄せ集めだ。戦えないですよ。

北朝鮮戦は気を抜けない戦いとはいえ、はっきりいって格下だ。
しかし、イランは強い。
昨年夏、ベストメンバーでないイランに引き分けしている日本。
世界ランキングでは日本は18位、すぐその下の20位にイランがいる。
そして今回はテヘランでのアウェー。

そんな厳しい戦いにね、
1.これまで代表戦で連係させていない中田を使う
2.イタリアでも調子が悪い中田を使う
3.その中田のために慣れた3バックから4バックにする
ジーコはね、イランの回し者か大馬鹿者かのどちらかですよ。
試合する前から負けるように仕組んでいる。

イランは初戦、バーレーン戦に痛い引き分けをしてしまった。
今回もホームで何が何でも勝ちにくる。
それでなくても非常に攻撃的なチーム。
3トップでかつ4バックなので真ん中に3人FWがいて、さらにサイドからも攻撃を仕掛けてくる。
当然、それに対して、日本はアウェーで引き分けで御の字なわけだから、
守備的な、しかも慣れたシステムの3バックを使い、
といいつつ、サイドに開く両脇の選手も実質下がり目で守備的なポジションにつき、
かつ両ボランチもどちらかというと守備的につく、
いわば、3バックといいつつ、5バック、7バックのような形で、
イランの波状攻撃を防ぎにかかるべきだ。
そして一発カットしロングボールを絶好調の玉田に入れて、1-0になれば大勝利。
これがイラン戦の戦い方だ。

しかし、これをジーコは4バックにする。
守備陣はただでさえ慣れない4バックに違和感を感じている挙句、
両サイドに開いた2バックは、攻め上がりを期待するもともとMF的選手を使おうとしているから、
はっきりいうと、実質4人で守る4バックではなく、中2人だけの2バック状態だ。
イランの3人のFWを2バックで抑えられるわけがない。

仮にね、4バックにしても98年フランス大会の日本代表メンバーのような形ならまだ守れるわけですよ。
4バックといいつつ、両サイドバックは相馬ー名良橋の鹿島コンビで、
一方が攻めあがる際は必ずどちらかがカバーに入り、
実質3バックのような形になっている。
それだけでなく、今の2ボランチではなく、山口の1ボランチなので、
中に人数をかけられても、2バックと1ボランチが実質3バックになり、守備的にもなれる。

しかし今回のジーコジャパンの4バック&2ボランチはわけが違う。
両サイドバックはどちらかというとオフェンシブなMF的選手でサイドのカバーができるか心配。
さらに2バックと並行するように2ボランチなので、3トップには対応しにくく、
かつ両ボランチは小野と福西が予想されており、共にオフェンシブな選手。
つまりイランの攻撃に対して2バックしかいないのだ。

しかも2バックの1人は背の低い宮本。
3バックのセンターとしてなら背が低くても大丈夫だが、
2バックとして1人が背が低いと完全にやられてしまう。
ようはどう考えてもこの状況で4バックにする意味はないのだ。

確かに北朝鮮戦は途中、3バックから4バックに変えてリズムが良くなった。
でもそれは、
1.格下の相手で、
2.日本がホームで、
3.相手が思ったよりディフェンシブ、
だったからであって、しかもそれが試合途中で分かったから変えたに過ぎない。
明らかにアウェーで互角の相手で攻撃的にくるイランに対して、
2バックという非常に守備に弱いシステムを引くなんて絶対にあり得ないはずなのだ。

その弊害は早くも紅白戦で出た。
中田と福西がかなり険悪に口論を続けたというのだ。
それは守備の面だ。
相手が右サイドから攻めた時、中田は詰めてこない福西に文句をいったが、
福西は中を固めることが必要だといった。
これはまさしく、チームとして連係がなっていない中田を急に入れたことと、
そもそも2バックの前に2ボランチでは外も中も守りが手薄になってしまう、
という私が指摘したデメリットを控え組が見事についただけの話だ。

これがね、3バックなら、2ボランチの福西はサイドにつめられるわけですよ。
つめても中に3人いるんだから。
でも中には2バックしかいない。だからサイドに守りにいけない。

ジーコ監督以外の誰かが監督をやったらこんなバカなことをしない。
もともと欧州組も前回の試合から呼び連係をとっておく。
そうすればね、日本の実力なら、北朝鮮戦とかオマーン戦みたいに、
格下相手にあわや負けに等しいホームでの引き分けかみたいな、
非常に危ない試合なんかまったくしなくっていいわけですよ。
ジーコが日本にハンデをつけさせて戦わせている。
そこをもともと圧倒的に実力差があるから、ジーコのバカな戦術のハンデを乗り越え、
なんとか選手の力だけで勝てた。
でも今度はそうはいかない。
実力が伯仲した互角の相手なのだ。

なぜジーコが監督なのか、私には到底信じられない。
もし今日のイラン戦で負けるようなことになったら、
とんでもないことだ。

早くジーコをおろせ!
日本代表の目標は甲子園(ワールドカップ)に出場することでなく、
本大会でどこまで上位に食い込んでいけるかという段階に来ているのだから。
すばらしい反戦映画!
いや、こういう描き方で反戦を描いた映画をはじめてみた。
ほんと、すばらしいです。

何がすばらしいか。
まず人がわんさかいっぱい死んだり、戦闘シーンがいっぱいあったりはしない。
そういう戦争の「悲惨」という見せ方をしていないんだけど、
すごく戦争の無意味さを感じさせてくれる、その描き方が実にうまい。

舞台はユーゴスラビア内戦。ボスニア対セルビア。
中間地帯の塹壕に取り残された3人の男。
ほとんど舞台はそこだけ。
その3人で戦争の無意味さを見事に表現している。

どちらが悪いかという口論。
互いの知り合いがいるという共通項。
そして互いに生き残るために助け合うムードになるかと思いきや、
疑心暗鬼から、そして消えない恨みから、
一瞬の隙をついた行動。そして・・・。

両軍の戦争の無意味さもさることながら、
国連軍の無意味さに焦点を描いた映画をはじめてみた。
現場を無視する事なかれ主義の国連上官。
かぎつけたメディアのおかげで、救出が展開される。
しかしそのメディアも、センセーショナルな映像を撮るために、
上からいろいろ注文をつけられ、兵士の気持ちを考えない取材行動。

単に両軍の戦争の無意味さだけでなく、
戦場での国連軍の役割やメディアについての行動の問題を指摘したすばらしい作品。
おすすめの映画なので詳しい内容は避けますが、ぜひ見てみてください。
「絶好調」の堀江君が、ついにニッポン放送だけでなく、フジテレビ買収にも乗り出した。
既得権益にしがみついた体制側の連中の圧力が強いので、成功するかどうかは疑問だが、
堀江君のこの一連の買収行動は、
既存メディアのいい加減な経営および未来なきビジョンに対する、
大きな風穴を開けたことは、歴史的に評価できることだ。

ただ残念なことに、堀江君は役回りとしては織田信長だ。
プロ野球の時もそうだが、
腐敗した体制への下克上を起こす一番、大変で旨みのない「破壊」行動を彼が担うだけで、
他人が開けた風穴を利用して、体制側にすりよって癒着し、新規参入を果たす、
楽天・三木谷のような姑息な小物がすっと入り込んで旨みを得る。
今回のメディア買収もそんな感じだな。

IT3強といわれる「ソフトバンク」「楽天」「ライブドア」だが、
ソフトバンクも数年前にテレビ朝日買収に乗り出し失敗してるし、
ライブドアも新たな手法で風穴を開けて痛みを伴うリスクを取っているが、
それに乗じてごっつあんゴールをいただくのはまたしても楽天かと思うと、
ちょっと楽天には吐き気がするな。
新規球団の拠点を仙台としたのもライブドアが先だったのに、
後付で仙台表明して、メディア腐敗のドン、渡辺恒雄とうまいこと話をつけて、
ライブドアのアダルトサイトを攻撃理由に、オーナーになってしまうんだからな。
まあそういう表面的な小手先でうまいことやっても天下は長くは続かない。
楽天は豊臣秀吉。政権は長くは続かない。
結局最後に天下を取るのは、はじめからさまざまな生みの苦しみを味わっている、
徳川家康ことソフトバンクがITの覇者にはなるんだろうな。

IT3強の話はさておき、ラジオだけでなくテレビにまで買収が及び、
改めて「堀江がメディアをわかっとらん」とか「公共性のある事業の担い手として認められない」といった、
空虚な批判が闊歩している。
しかし、一体、メディアの公共性があるのか、私には大いに疑問だ。
ニッポン放送やフジテレビが偉そうに我々にはジャーナリズムの歴史があるなんていってたけど、
あんたらのやっているコンテンツが果たして公共性があるのか、
まったくもってクエスチョンである。

20日11時頃、九州で震度6の地震が起きた。
NHKは番組を変更し、ずっとこの地震のニュースをやっていた。
11時30分頃、日本テレビも地震ニュース番組に変わった。
しかし、フジテレビは、九州で地震が起きたテロップも流さず、
「笑っていいとも」の総集編をやっている。
これがフジテレビの公共性なのだろうか?

ただここで考えなくてはならないのが、九州の地震ニュースをやることが、
果たして公共性に合致するのかということだ。
もしかしたら北海道にいる人は、九州の地震より、明日の天気予報が知りたいと思うかもしれない。
東京のビジネスマンにとっては今、イラク情勢がどのようになっているのかを知りたいと思うかもしれない。
つまり何を持って「公共性」というのかが非常にあいまいなのだ。

この公共性の多様化ということを考えた場合、
たかが選択肢が6つしかないテレビはインターネットに飲み込まれるのは時間の問題だ。
たとえばインターネットのニュースを見れば、
地震のニュースもずっとやっているし、天気予報もリアルタイムでずっとやっているし、
イラク情勢も他のニュースも、随時、更新されているわけです。
公共性が1つでない以上、自分の関心事にアクセスできるインターネットの強みは、
絶対にテレビでは持ち得ない。
もしテレビでやるとしたら何百局と作らなくてはならない。
チャンネス選びが大変ですよ、そしたら。

だから最近、私は何か知りたいニュースがあったら、まずインターネットを見る。
そしてそれを掘り下げてみたい場合に、テレビなり新聞なりを見る。
ただ新聞はストックできるので、自分が見たいときに見れるし、紙として残せるからいいが、
テレビはやっている時に見なきゃいけないし、後で見返すのも大変だ。
そう考えるとテレビというのはほんといらないなと思う。

そもそも、テレビの公共性とはなんぞやという問題もある。
たとえば単に青少年に悪影響を与えかねない暴力的番組やアダルト番組さえやらなければ、
くだらんバラエティをやってもそれを「公共性」というのかどうか。
というか、国民の受信料で運営されているNHKはともかく、
特定のスポンサーの広告収入で運営されている民放が公共性を語る資格はあるのか。
たとえば盗聴問題に端を発した武富士問題だが、
テレビで大々的にその問題に触れられないのは、武富士のテレビ広告を取り仕切っている、
電通からのプレッシャーがあるからだと、あるジャーナリストは指摘している。
以前にもたばこを問題にした番組をやると、たばこのスポンサーがつかなくなってしまう、
といった問題から、そのような番組を作ることができないといった話も聞いたことがある。
はっきりいうが、民放に公共性を語る資格はない。
なぜなら、金をもらっているスポンサーを批判した番組は作りにくいからだ。

スポンサー重視という意味ではニッポン放送の知的レベルの低さを曝け出した、
フジサンケイグループに残る前代未聞の社員声明をみてもよくわかる。
はじめは「リスナーのために」という文言が多く、
国民、世論に味方になってほしいというメッセージなのだが、
だんだん本音が出てきて、結局、「スポンサーのために」という文言が増えてくる。
広告収入的な観点からフジと組んだ方がスポンサーがつく。
ようはただそれだけなんでしょ。
公共性もリスナーのためもくそも関係ないわけです。

公共性とは何かという問題と、
公共性の多様化という問題を考えた時、
フジテレビが買収されるかいなかといった狭い問題ではなく、
いずれテレビとラジオはインターネットに吸収されるのは時間の問題だろう。

それにしても今回、まだライブドアだったからいいようなものの、
もし金のある反社会企業が同じ事をしていたらどうなっていたのかと思う。
そう考えると、買収する隙を与えてしまった、
フジおよびニッポン放送の現経営陣の責任問題が当然取り沙汰されてもいいのに、
社員すらそれに言及せず、ただライブドア拒否の姿勢を貫いているところからみても、
彼らに幅広い視野を持って問題を考える、
ジャーナリストとしてメディアとしての自覚に欠けているといわざるを得ない。
仕事柄、金融関係の調べものをする機会が増えているのだが、
今年4月からペイオフが全面解禁となるそうだ。
ようは1000万円までしか預金は保護されませんよというものだ。

私が思うに1000万円以下の預金しかないものは関係ないんじゃないかと思うのだが、
世の中には結構、とりたてて金持ちでなくても、
1000万円以上預金をしている人がいて、
ここはチャンスとばかりに、お金を預金として預けないで、
たとえば株に投資しましょうとか金に投資しましょうとか、
国債を買いましょうとか投資信託をはじめましょうとか、
まあ金融機関からすると絶好のビジネスチャンスで、
私もその片棒担ぎのような広告記事を書くこともある。

ただそういう金融知識の細部に詳しくなればなるほど、
俯瞰した視点で「本当にどうなのよそれって?」っていうことが欠落してしまう可能性があり、
私はこのつぶやきで、あまり細部にこだわらず、
社会全体の雰囲気をなんとなく掴み取った上で、
あとは直感に従って未来を予測している。

前置きが長くなったが、ペイオフ解禁で、預金を投資に移したいと思っていて、
株はなんとなく怖いけど、国債なら安全だろうと思っている諸君がいたら、
絶対にやめた方がいいとアドバイスしよう。
間違いなく、日本国債は数年後に紙くずになる!

日本の借金は約730兆円ある。国民1人あたり600万円もの借金をしている計算だ。
それがさらに増え続けている。
それを補うために国債を乱発し、約500兆円残高がある。
つまり、日本という国家は自転車操業をしているわけだ。
サラ金的視点からみれば、自己破産寸前の重度の借金たれということになる。
はっきりいって自力で返せる見込みはない。
もう手をあげるしかない時期が迫っているのだ。

そんな状況下で、ペイオフ解禁だからといって国債にシフトしようなんて、
私は論外中の論外だと思う。
というか、日本の財政が破綻すれば、
日本国家そのものが破産するわけで、
ひょっとすると日本円キャッシュも紙くずとなる可能性が高いと思っている。
今のうちにユーロとか金目の物で換金性の高いものにシフトした方がいいんじゃないか。

私が悲しいのはこんなに借金があるにもかかわらず、
それがどうしても国民の生活に必要なことに使われているのではなく、
いらん公共施設や採算のとれない公共事業、はては公務員の飲み食いや海外旅行などに使われているという実態である。
つまり、自転車操業をしている借金たれは、
一生懸命借金を返すために働いているのではなく、
開き直ってその金で遊びまわっているということだ。
これで金が足りないから消費税を増税するとかいうのだから、もう開いた口がふさがらない。
国民がバカにされコケにされている頂点に達している。

日本のこの悲惨な自転車操業をみるに、
日本国家の信用に基づいて価値のある日本円紙幣や日本国債などは、
自己破産した瞬間、本当に紙くずになって、
借金棒引きされてしまう可能性があるので、
今の時期に国債だから安全で利率がいいなんていう、
どう考えてもあり得ない話に騙されないで欲しいなと切に願う。
失敗するのが恐い。
恥ずかしい思いをしたくない。
一生懸命やるのは格好悪い。
そんなつまらないプライドが、自分の力を伸ばす機会を潰してきた。

いつも必ず余裕を持って、何事にも腹八分目で、
遊びも人も仕事も受験も何もかも、いつも70%ぐらいの力でやってきた。
すべてをし終えて「自分にはあと30%も余力が残っているんだ」と、
余裕ぶっこいで、どんどん自分の力が落ちていった。

たとえば偏差値が65だったら、無理して偏差値70の学校を受けるんじゃなく、
安全な偏差値60の学校を受けようとする。
自分でハードルを下げると、本来自分が飛べるはずのハードルすら飛べなくなることに気づかないで、
余裕で飛べるという油断から、思わぬ落とし穴にはまってしまう。

自分で目標を下げたらどんどん実力が下がっていくだけだという、
当然の帰結に気づかないまま、クールでドライな自分を格好いいと思い込んでいたんだろう。

私は、マラソン大会になると、いつも前半は力をセーブしていた。
後半ばてて後ろの人に抜かされるのが格好悪いと思っていたからだ。
それだったら前半力をセーブして、後半のラストスパートで力を出して、
どんどん人を抜いていく。
そんなくだらないことをやっていたせいで、きっと足は速かっただろうに、
いつも長距離走の成績は悪かった。
だって走った後も余力が残っている、そんな走り方をしていたら、
持てる力を100%発揮して、前半からびゅんびゅん飛ばしている奴に追いつけるわけがないのだ。
そんなことに中学の時も高校の時も気づかなかったような気がする。

中学生の時、私の成績は中の上というか上の下だった。
だから私は第一志望を地区で1番の学校ではなく、
2番の学校でもなく、3番目ぐらいのらくして行ける学校に行こうと思っていた。

しかし通っていた塾の先生は、全員1番の学校をめざさせたので、
自分だけ3番目の学校を志望するなんていえない雰囲気があったし、
塾のクラスの連中とは仲が良かっただけに負けたくないという気持ちが強かった。

また、中学3年の時、担任のおばさん教師も、
偏差値63しかない私に地区1番の偏差値70ともいわれる高校を、
当然のごとくめざさせようとしたことに驚いた。
「ムリですよ、先生」といったがまったく言葉を聞いてくれなかった。
そしてその担任は勉強に集中させるためにクラス全員の席を決めた。

私は勉強がクラスの中ではできる方だったので、当然後ろの方にいけ、
遊んでしまううるさい生徒を前の方の席に持ってくるものばかりと思っていた。
しかしその先生は私を一番前の席に指定した。
しかも隣はクラスで一番頭のよい、物静かでつまらなそうな女の子。
おいおい、なんで私が一番前なんだよとまったく納得がいかなかったが、
周囲の騒がしさを気にせず、より勉強させる環境をという思いから、
さぼることのできない一番前の席にしたのだろう。
今、思えば、大胆なことをする先生だったが、私はそのおかげで、
自分の実力以上の偏差値の高校に行くことができたんだと思う。

自分でハードルを下げるな。
自分で目標を下げるな。
力をためるな。セーブするな。
格好悪くてもいい。全力でいけ。
というかぶっ倒れるぐらい全力でぶち当たってはじめて力はついてくるんだと思う。

そんなことに気づいたのは私は遅かったかもしれない。
だから、まだ気づいていない人がいるなら、今からでも遅くない。
私のマラソンのような走り方をする人生をやめて、
力を出し惜しみせず、全力で突っ走る人生を送ってほしいなと思う。

そういう私もまだ中学・高校のくせが抜けず、
まだどこかで逃げているのかもしれない。
目標は高く、そして、それに向かって全力を尽くさねばな。
何事もうまくなりたいなら、まず量を追い求めること。
そして量をこなすスピードを意識すること。
それができてはじめて質を追求する。
どこで量から質に気づくかなんだよな。
今年、年始のミーティングで社長が言った言葉だ。
似たようなことをいろんな本や人の発言から聞いていたけど、
この時、私は「そろそろ量から質へ転換を図るべき時に来たのかな」と思ったので、
特に印象に残っている。

私も若い時、そうだったけど、量をやらないくせに質ばかり気にするんですね。
完璧主義というか。
だから結局、やらないんです。
自分では「やらない」つもりでいても結局それはイコール「やれない」ことなんだけど。

いい写真を撮るにはまずあのカメラを買ってからだとか、
音楽をやるのはいいメンバーが集まってからだとか、
小説を書くのは本を100冊以上読んでからだとか。
ようは自分に言い訳をつけて、結局やらない。
なぜか。
はじめから完璧なもの、いいものを作ろうとしている。だから失敗する。
いや、失敗もしない。作りもしないのだから。

量やスピードをこなす努力を怠り、一丁前に質を追求していると勘違いしている輩は結構多い。
私もそうだったけど、社会を知らない学生とかに多いよね。
単なる独りよがりなんだよね、それって。
質を追求するために、量をこなさず、スピードを意識せず、
じっくりそればっか、何度も何度も塗りなおして自分ひとりの世界に閉じこもって、
いいものができるわけがない。自己満足なんですよね、それって。

好きなことだったら、みんな量をこなせるわけです。
だから写真家になりたくって写真をいっぱい撮ってない人は絶対にうまくならないし、
小説家になりたいといってるくせに「忙しい忙しい」と言い訳して、
何も書かない人間は絶対に小説家にはなれない。
当たり前なんだけどね。
まず量をこなすこと。

そう思って私も「エジプト旅行記」という自己満足と独りよがりから脱するために、
量とスピードを追求してきて、かさこワールド開設後5年がたった。
そんでもって30歳になったこともあり転職したこともあり、
ちょうど年始に「量から質へ」という話を聞いて、そろそろそういう時期なのかなと、
ちょっと考え始めている。
でも私はまだまだ作品としての文章は少ないし、写真は撮り始めたばかりなので、
しばらくは量を追求することが第一になると思う。

さて、なんぜこんな話をしているかというと、
実は量を追求した結果、今、大きな問題が起こっている。
かさこワールドの容量が300MBに達しようとしているのだ。

2003年、50MBの無料ホームページから、大容量300MBの広告非表示ホームページに変えたわけだけど、
300MBならまず当分は大丈夫だろうと思い、写真をいっぱいアップしたことにより、
瞬く間に300MBになりそうな容量になってしまった。
写真1枚は60kぐらいだからそんなに重くはないんだけど、
とにかく量が多いせいで、容量問題にまたぶち当たってしまったわけだ。

今、ブログ全盛で、どこもブログ募集を大々的にやっているんだけど、
ホームページスペースレンタルは昔より減ったのかなあとか思う。
いろいろ検索すると容量無制限で無料(ただし広告表示)というサービスを見つけ、
そこに写真のファイルだけ置いて、写真を表示するhtml文書だけは、
本体のかさこワールドに置くというやり方をすると、
写真の重さは容量無制限のサーバーに行き、
表示されるのはかさこワールド内のサーバーにある文書なので広告が表示されないというトリックを使って、
この問題を解決しようとしたんだけど、
当然、それでは容量無制限のホームページスペースレンタル業者は、
広告が表示されないからファイル置き場を禁止していて、
1週間でそれがばれたのか削除されてしまった。

金を払ってもいいから容量を増やしたいと思っていて、いろいろ探して、
結局、今、使っているinfoseekの年間6300円で300MBのこのホームページを、
もう1つ買うしかないかなとか思っていたら、
年間3150円で500MBのサーバーをレンタルしてくれるところをみつけ(http://stepserver.jp/)、
そこに写真をアップしていこうかなと思っている。
そうすればあくまでURLを変えることなく、
いっぱい写真をアップしたホームページを作れることができるので。

まああと1年か2年は量を追い求めていきたい。
そのうち量から徐々に質へと移行していきたいと思う。
堀江君はいつもノーネクタイだけど、インターネット業界の社員服装というのは、
いいか悪いかは別にして、まったく従来の既成概念を壊したことは間違いない。
先日、1部上場した価格コムに、取材した関係でちょっとお邪魔したんだけど、
そこに出入りしている社員とおぼしき人たちももちろんノーネクタイ、ノースーツ。
いや、それどころか、どちらかといえば、何浪もしている学生みたいな、
まあいってみれば今の若者っぽい、だらしのない格好が多かった。

別にそれは悪いわけではないと思う。
でもライブドアの堀江君がプロ野球参入の時もそうだったけど、
頭の固い連中は「なんだあんな格好は!けしからん!」みたいなところから入ってくるわけで、
でも価格コムにしてもそうだけど、
そういう企業が圧倒的な消費者ニーズに応え、支持され、
瞬く間に1部上場を果たす、そういう時代なのだ。

1年ほど前、ヤフーのオフィスに行ったことがある。
オフィスは回転ドアで人を殺しながらも、
東京の新名所となっている六本木ヒルズであるのだが、
(ここに楽天、ライブドアも入っており、
最近急成長を遂げている新興企業もいっぱい入っている。
たとえば牛角チェーンでampmを買収したレインズインターナショナルや、
人材派遣ならびに介護事業のグッドウィルグループなど)
ニューストピックを選ぶ職種を募集しているということで、
ちょっとのぞきがてら面接にいったのだ。

面接ということで久々にスーツを着てネクタイでいったのだが、
新品きれいな円形オフィスから出入りしている社員たちは、
ほんとだらしない、ださい、どうしようもない格好をした人ばかりである。
面接官というか現場で仕事をしている人が2人きたが、もちろん私服。
ちなみに1人は連日の疲れか、面接中、うとうとして居眠りをしていた。
これが、今、NTTを倒そうかという勢いのヤフーの現実なのだ。

私がいいたいのはこのネット企業の服装がだらしないからいけないだとか、
スーツが不要だとかそういう話ではないんだけど、
日本の今のビジネスの現状はこういうところが既存大手をしのいで、
のしあがっているということは認識しておくべきだろうと思う。

まあインターネット革命により在宅勤務が圧倒的に増える時代になれば、
服装なんてまったく関係なく、パジャマだっていいかもしれない。
もちろんネット会議みたいなことがあって顔が映し出されることもあるだろうけどね。

とにかく、時代は確実に変わってるんだよ。
一部上場企業を果たした社員の服装がこうなんだからね。
日本ではホリエモンニュースであまり報道されていないが、
イラクでとんでもないアメリカの横暴が起きた。
イタリア人女性記者がイラクで武装勢力に拉致・解放された後、検問所で米軍の銃撃を受け負傷。
さらに同乗していたイタリアの治安当局員は米軍の銃撃を受けて死亡した。
しかもこのとんでもない事件。単なる「誤射」ではなく「故意」に狙った可能性が非常に高い。
負傷したイタリア人女性記者は、通常速度で走行中に突然銃弾が浴びせられ、運転手が「われわれはイタリア人だ」などと叫んだが、
発砲は止まらなかったなどと生々しく振り返ったのに対し、
米軍は、車が猛スピードで検問所に突入し、警告射撃も無視したためやむを得ず発砲したなどと主張いるが、
300発近い銃弾の後があるといわれ、到底、「警告射撃」でないことは明らかだ。

米兵が意図的に銃撃した点については、
拉致実行犯に対する身代金支払いを行なったイタリア政府の交渉の仕方に米国が反対していたといわれ、
「米国はそれをやめさせようとしたのでは」とその女性記者は語っているが、
一説にはこのイタリア人女性記者が、アメリカ軍にとってばらされては困るような情報を取材していたので、
狙われたということもいわれている。

アメリカってなにもんだよ。
すごいよな。
誰がアメリカの話を信じる?
イタリア人が一人殺され、解放された記者まで負傷している。
ほんと悪の枢軸の頂点に立つアメリカの末恐ろしさは、
ちょっとわれわれが考える以上に相当深刻なものといわざるを得ない。
麻生太郎総務相はNHKの不祥事を理由にした受信料不払い問題対策として
(1)罰則の導入(2)政府広報などのCM収入
(3)テレビ視聴が可能な携帯電話、パソコンなどの販売価格への受信料相当分上乗せなどを
今後の検討課題とする考えを表明した。

あのさ、麻生君、今、フジテレビが問題になっているよね。
何が問題になっているかわかるかねえ。
テレビやラジオといった既存メディアがインターネットに飲み込まれようとしてるわけ。
いい、NHKなんかいらなくなるの。
というかテレビはなくなっちゃうの。
それを不祥事を理由にした受信料不払いに対して罰則とは何事か。
NHKに圧力かけた政治家やら、NHK職員で不正を働いてた奴らから、
全財産没収して不払い収入に当てればいいんじゃないの。
ていうか、それでもNHKはいらないんだけどね。
2004年度中の郵政公社の職員による横領や盗みなどの犯罪被害は15億円。
ちなみに2003年7億、2002年13億、2001年8億、2000年8億・・・
ってな具合に、とりあえず明るみに出た犯罪だけでも毎年100人以上およそ10億円近い横領が行なわれている。

だからね、民営化しなきゃいけないんだよ。
それをやることなすことなんでもかんでも総理大臣のやることは反対する馬鹿者、
メディア、野党、国民、そして自民党既得権益者、そして官僚、財界。
ようは職員が15億円もくすねてるように、
みんなよってたかって郵政公社にぶらさがってカネをくいものにしてるわけよ。

はよ、とっとと民営化しなさいよ。
NTTも国鉄もできたんだから郵政公社なんかちょろいでしょうに。
もう国営企業はいらないんです。