浮島町(京浜工業地帯)撮影日誌 | つぶやきかさこ

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先日、京浜工業地帯の夜景撮影をチャリンコで回った折、
行けなかったその先の島、浮島町という馬鹿でかい埋立地があった。
地図を見るにかなり工場も多く、いい撮影スポットになりそうだ。
しかし鶴見からチャリで行くにはあまりに遠い。
地図をよく見てみると京浜急行の川崎大師線が使えることに気づく。
大師線終点の小島新田駅から歩いていけば、浮島町に行ける。
片道4kmほどありそうだが、鶴見からチャリで行くよりはるかに楽そうだ。

私は小さい頃、鶴見に住んでいたので、川崎大師は知っていた。
京浜急行大師線というぐらいだから、この電車の用途は川崎大師に行くための電車だと思っていたが、
終電を調べるとなんと24時代まである。
単なる川崎大師に行く観光路線ではないのだなと思った。

実際に乗ってみるとやはり観光路線だけではなさそうだ。
もちろん沿線に住んでいる住民の足という側面もあるのだが、
小島新田駅そばにはすでに工場が多くある。
つまり、大師線は、鶴見線のような役割、
京浜工業地帯へと労働者を運ぶ足としての役割もあるから、
こんなに遅くまで走っているのだということに気づいた。

浮島町の工業地帯に行くには川崎駅から直通バスの方が便利なのだが、
小島新田駅周辺にも工場はあるし、その途中にもある。
途中駅の鈴木町駅なんかは、海芝浦を思い起こさせる作りで、
いくつか改札があるのだがその1つは、味の素の工場専用改札だ。
改札を出るとすぐ味の素工場になる。
つまり従業員しか降りることができない改札なのだ。
なんだ大師線も鶴見線と同じじゃないか。
大師線はずっと多摩川沿いを走る。鶴見川沿いを走る鶴見線と似たようなものだ。
鶴見川と多摩川の間に作られたのがまさしく京浜工業地帯なのだから。

小島新田駅を降りて浮島町方面に向かうのだが、
まずJR貨物と神奈川臨海鉄道なる貨物線が幅をきかせているので、
それをまたぐ長い歩行者歩道橋を渡らなくてはならない。
歩道橋の前にはすでに大きな工場がある。

浮島町へは神奈川臨海鉄道の貨物線に沿って歩いていくことになる。
浮島手前は「殿町」という名称。
歴史を感じさせるような町名はこの辺までがもとからあった土地なのか。
しばらく行くと県営埋立地入口と書いてある。

浮島手前からいすずとかどでかい工場群がすでにある。
小島新田駅から1kmほど歩くとやっと浮島橋に到着し、そこを渡ると浮島町だ。
橋からは浮島の南にある島、千鳥町の工場群が見える。

浮島町の2.5kmほどの道路沿いの両脇に、物騒な工場群が密集している。
これだけ工場が集まっている島はなかなかない。
ここがもしかしたら最大の工場島かもしれない。

通り北側には多摩川があり、そこを越えるとすぐそこが羽田空港。
だから飛行機の離発着が頻繁にあり、工場群をかすめるようにして飛び立っていく。
浮島からも飛行機や空港だけでなくモノレールもよく見える。

土曜日の夜だが、工場帰りの労働者が時折、自転車や徒歩で帰っていく姿が見られる。
ただ基本的には川崎駅行きのバスを使っているようだ。

小島新田駅から歩いて1時間ほどで浮島の先端に到着する。
その先は、木更津に行くアクアラインだ。
こんなところがアクアラインの入口なんだな。
先端にはカーフェリー乗り場もある。
その前にとってつけたような公園があり、
一体工業地帯の先端のこの公園に誰が来るんじゃと思いきや、
意外や意外、夜の公園に子供連れの家族の姿が見られる。
どうやらつり場になっているらしく、一軒エサや釣具、軽食を売っている店もあった。
結構、夜釣りを楽しんでいる人が多くいた。
犬の散歩をしている人も公園内にはいた。
鶴見線沿線ほど強烈な異臭はしないが、紛れもなく工業地帯の真っ只中ではあるのだが。

先端に辿り着くと今度は小島新田駅に向かって撮影を開始していく。
工業地帯はすぐ会社の敷地になってしまって入れない道が多く、
なかなかいい撮影スポットがみつかりにくいというデメリットはあるのだが、
それでも数箇所ほど工場を真正面に見れる場所があり、
暗闇の中、三脚を取り出すと、熱心に何枚をシャッターを切っていく。

「夜景」といっても町の中にあるライトアップされた景色ではないので、
基本的に周りは暗いのでピンが合わなかったり、ぼけたりしてしまう可能性が高いので、
とりあえずいっぱい撮っておく。

あまりに暗い場合はシャッター速度をかせぐために、
ISOを400から800に変えて撮影する。
デジカメは便利だよな。ISOを変えられるんだから。
もしフィルムカメラだったらISO400とISO800のフィルムを別々に用意し、
2つのカメラに装填しなければ、使い分けすることはできない。
あらためてデジカメの便利さを知る。

高度成長期はとっくに終り、厳しい公害規制を逃れるためと、
高い地価、高い人件費から逃れるために、工場を東南アジアに映し出したのは90年代のことだと思うが、
それでもまだこうしていっぱい東京のすぐそばに工場群があることに驚く。
働いている人も全盛期よりは少ないだろうが、かなりいるんだろうな。

地図を見るとよくわかるのだが、社名には「日本」の文字が入ったところが多い。
「日本ユニカー」「日本合成アルコール」「新日本ガス」「新日本石油」「日本触媒」「日本酸素」・・・
まさしく日本の経済成長を支えてきた昭和の製造業の原動力企業なのだろうが、
空洞化が進んだ今、これらの企業名が一般ニュースに登場するのは少なくなった。
しかし、厳然と、東京のすぐそばに存在している。
工場群がここにあることが時代錯誤なのか、それとも存在隠蔽なのか、
単に注目されなくなっただけなのか、当たり前のものとして認知されているのか、
なんだか恐ろしい危険地帯がすぐそばにあるんだよな。
「テロ警戒」という文字が真に迫ってくる。
こんなところに爆発物でも仕掛けられたらすごいことになるんだろう。
現に工場内は禁煙徹底しているところが多い。
こんな風にして日本の一端を見ながら、夜景として絵になるところを選んで撮影を続けていった。

しかし、それにしても、相も変わらず酔狂だなと思う。
一体、何が僕を駆り立てるのか。
土曜日の夜に空気の悪い京浜工業地帯に出向き、
三脚とカメラとパソコン背負って、人けのない工業地帯を4時間近く歩き彷徨っている。
体がなまっているある種のガス抜きなのか。
歩き回って汚濁の工場地帯に輝く美しい夜景の姿を収めたいという、
ただそれだけなんだけど。

チャリじゃなく徒歩で歩き回ったせいか、カメラをぶらさげていたクビやら、
リュックを背負っていた背中やら、足やら節々が痛い。

ひとまず京浜工業地帯の北側はほとんど回った。
あとは横浜に近いエリアと、千鳥町の先にある2つの扇島に行かないとな。

浮島町の夜景でない写真を追加しました